川本暢のブログ版「フットボールのアフォリズム」第九回
−僕が自分の手で掲載しなかった原稿−
海外サッカー週刊誌『フットボリスタ』の4月18日発売号から、フランスサッカー事情を記したコラム「ディスクールで綴るフランスフットボール事情」が始まった。前回のこのブログで報告した通り、雑誌に掲載された原稿は、書いた二本目のものであり、一本目の初稿は、少し視点を変えて書いている。発売された雑誌の記事と、このブログで今回公表する記事とを読み比べるのも、面白い試みかと思って、このような形でボツにした原稿を公表することにした。ちなみに、校正を担当してくださった木村編集長は、初稿も気に入っていると話してくれていた。
『フットボリスタ』連載コラム ボツ原稿編
「ディスクールで綴るフランスフットボール事情」
第1回
メクセス、欧州中から注目を集める25歳
文/川本 暢
CL決勝トーナメント1回戦、リヨンが ローマに破れて準々決勝への道が閉ざされた日、フランスサッカー界は大きな失望に包まれた。そして同時に、フランス人の多くはリーグ1、6連覇を目の前にした「あのリヨンでさえ勝てないのか」、と将来に対して諦めにも近い心境になっただろう。さらに、リヨンのこの敗退は、リーグ1で活躍する何人かの選手たちに、「フランスでプレーしていても」という焦りに近い心境を誘い、他国リーグへの移籍を決心させるきっかけになるかもしれない。
事実、リヨンのMFフローラン・マルダやDFエリック・アビダル、マルセイユのMFフランク・リベリー、ボルドーのMFリオ・マヴバなどが他国のビッククラブに移籍するのではないか、と噂になっている。
■ローマは当然否定するが…
移籍話ということで言えば、今や欧州中から最も注目を集めているフランス人がいる。3月30日に誕生日を迎え25歳になったフィリップ・メクセスは、彼が所属する ローマを今シーズン限りで旅立とうとしている。メクセスが向かう候補地は、イタリアならユベントス、ミラン、インテル。スペインならレアル・マドリー、バルセロナ。イングランドならマンチェスターU、リバプール、アーセナル、チェルシー、トッテナムが噂に上がっている。
サッカー界の移籍に関する噂は、世間で言われる噂の中で最も真実に近いものである、と僕は思っている。「火のない所に煙は立たない」という格言は、サッカー界の移籍話にこそ、ぴったりと当てはまる表現なのだ。当事者である選手や関係者が、移籍の噂を否定すればするほど反対にその信憑性が増し、水面下で話が進んでいる証拠のように見えてしまう。
メクセス移籍の噂に関して、スパレッティ監督は「我われは彼を放出したくない。どこかのチームが獲得を狙っているかもしれないが、売却は不可能だ。ここでは数々の噂を耳にしている」と断固拒否の姿勢を見せる。しかし、ローマが置かれたクラブの現実を見れば、メクセスをチームに引き止める材料が何もないのである。
周知の事実だが、ローマはメクセスと契約延長するだけの資金力を持っていない。それでもクラブ側は、なんと2013年まで5年間もの契約延長を申し出た。この提案を解く鍵は、来年6月でローマとメクセスとの契約が切れる点にある。つまりローマは移籍金ゼロでの放出を何としても防ぎたかったのだ。
■ペナルティを与えられた過去
メクセスと彼の代理人オリビエ・ジュアノーは、移籍問題で過去に苦い経験をしている。それは、メクセスが2004年にオセールからローマに移籍する際の話だ。彼の代理人は、オセールとの契約がまだ2年残っている状態で、ローマとの契約を優先してしまった。それに怒ったオセールは、契約期間内に一方的に契約を破棄したという理由で、FIFA に異議申し立てをする。FIFAはローマへの移籍を承認しながらも、オセールへの賠償金支払いを要求。また、メクセスに対しても6週間の出場停止を言い渡した。これを不服としたローマは、スポーツ調停裁判所(TAS)へ控訴する。その結果、ローマの控訴は棄却され1年間の選手獲得禁止の処分が下されるとともに、700万ユーロ(約11億円)をオセールへ支払うこととなった。また、代理人ジュアノーに6カ月の活動停止処分が与えられた。メクセス側はこれに懲りたはずだから、今回の移籍に関して慎重に事を運ぶはずだ。
メクセスが、今ローマを離れるためには最低1050 万ユーロ(約17億円)の移籍金(契約解除金)が必要だと伝えられる。そうした中で、昨年9月にイタリア、イングランド、スペインのクラブが、すでに代理人と会っていたと言う。最初にアタックしたのが、元フランス代表キャプテンのデシャン率いるユベントスだった。次にコンタクトを取ったのは、アーセナルである。5年契約とローマの2倍のサラリーを提案した。そして、レアル・マドリーが、フランコ・バルディーニを連れて交渉の席に着いた。バルディーニは、2004年にローマのスポーツディレクターを務めていて、彼がメクセスをイタリアに連れて来た人物だと言われている。
■代表デビュー戦での謙虚な言葉
メクセスが、代表デビューを果たした2002年8月21日、対チュニジアとの親善試合後の彼の言葉を、僕はメモに残していた。
「フランス代表ですか。ああ、そうだった、というくらいの意識です。僕は実績がほとんどないままユース代表に選ばれたんです。だからA 代表に呼んでほしい、と主張するのはおこがましい。目下のところはユース代表を継続したい。つまり僕には、まだ学ぶべきことがたくさん残っているのです」と当時20歳の彼は話してくれた。
あれから5年経った今、長身(187cm)を生かしたヘディングでの競り合いの強さや、セットプレーの際の得点力、さらに、ラインコントロールの巧みさなど急成長を遂げた。まさに欧州のビッククラブが、メクセスの確かな実力を見込んで彼を奪い合おうとしている。あの頃の、幼さを表情にたたえた彼の笑顔を思い出すと、僕は、何だか感慨深いのだ。
川本 暢(サッカーライター、ソシュール研究者)